そういえばそうだ
高木浩光@自宅の日記 - SSLを入力画面から使用しないのはそろそろ「脆弱性」と判断してしまってよいころかも
うわー。何箇所あるんだろ。あまりに身に覚えが多すぎてなんともいえない。
部署内で回覧してもらうかな。
半年ロムってろ
「半年ロムってろ」は認知度高いですかね。キーワード作りますかね。
もうさあ、最近の人たちはなんつーんだろ。
gooブログ スタッフブログ:トップページリニューアル及びジャンル機能追加のお知らせ
もうさあ、最近の人たちはなんつーんだろ。せっかく腐心して出会いのきっかけを提供してあげたっつーのに、こうも反発するもんかね。
はじめてブログ始めたときの事を思い出してごらんよ。どうやって他のブロガーと知り合った?
記事検索とかブロガー検索とかいろいろやって、自分と趣味や境遇に共通点を見出して、コメント付けに行ったもんなんじゃねえの?
最初にコメントがついたときなんてさ、どれだけ嬉しかったかもう忘れてしまったわけ?
さて今回、gooブログに追加されたジャンル別投稿機能に関しては、ブログ開設後になかなかコメントがつかないユーザーを考慮し、なにか新しい試みを始めてみようという目的でつくられたのだと推測。
- トラックバックではダメであった
- カテゴリ統合ではダメであった
- もともとの作り方が、ユーザー - カテゴリ - エントリ という関係になっていたため、他ブログサービスのようにカテゴリを統一し共有するという作業が困難であった。
で、出された結論が、“PINGサーバーが複数あるかのように見せる”ことであったのではないかと思う。
ジャンルはマニアックであればあるほどよい
その分、コアな方々との出会いが増えるわけですから。多種すぎるのはそのため。ジャンルごとの記事が少ないのもそのため。
ジャンル分けしたくなければしなくともよい
そのためのデフォルト値“ウェブログ”ではないだろうか。使いたくなければ使わずともよい仕様になっているのに、使いづらい、面倒だという表現になるのは正直理解しかねる。仮に出会いたい人が全体の2割であったとする。8割方使わなかったとして、従来どおり8割がたが“ウェブログ”のカテゴリに新着記事が書き込まれ、新しい出会いを必要とする残りの2割にとっては“交流するのにこれ以上ない機会”となるのは明らかであろう。
カテゴリに影響しない
“自分見せ”のためのカテゴリではなく、ジャンルという、RSSにもブログの体裁にも全く影響しない手法を採用したのは、それが“新しい出会いの場を提供したいという目的のために作られた”から。おそらく、「カテゴリを統一したら、自分の言葉でカテゴライズしている人まで巻き込むことになる」という意見が合ったのではと推測。
今回、スタッフブログに苦情を表明したブロガーの大半は、“この機能は必要ないと思われる(充分に友人たちとコミュニケーションできており、新しい出会いはこれ以上あまり望まない)”方々であったのかもしれない。
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というエントリを丁寧語で書き直し中
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だったつもりが、こんな記事を発見。
たま恣意ダイアリー - 頑張れ中の人。
そうるさんかっ!!!!
誰にもブクマされてないのは勿体ない、、、というか、まるで僕がこれみて書いたかのようだ(笑)。
メタ視点が教育を変える
こないだ出た会合で、こんな話が聞けた。
小学校高学年から中学校にあがるお子さんをお持ちの親御さんで、
「私にはもう教えられなくって」
と仰る方がいらっしゃいます。
「教えられない」といってるのは、何も指導できる難易度が高くなったっていうわけではないんですね。
対応できないわけではないんです。
小学校4年生を過ぎてくると、今まですんなり自分の中に受け入れる事が出来ていた勉強というものが、徐々に受け入れにくくなってくるんです。
“それはなぜ?”“それはどうして?”という、自己解決が図れないと、自分の知識として取り込む事が出来なくなってくるんですね。
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」「どうして学校の宿題はやらなくちゃいけないの?」と、聞き始めるわけです。
その時によくやりがちなのが、「いいから、やりなさいっ!」と叱り付ける行為です。
自分は、なぜ?どうして?と聞いているだけなのに、お母さんに怒られてしまうわけです。
そのうち、何かに疑問を持つことに対し、潜在的な罪悪感が芽生え始めてしまいます。
こうなってしまっては、勉強したいという意欲はそがれ、どんどん、学校の勉強についていけなくなってしまうんですね。
つまり“なぜか?を考える能力”、言い換えればメタ視点能力がないんです。
メタ視点能力がないと、“それはなぜか?”と考えたり、“どうやってこの問題を解けばよいか?”と考えたりする事が出来ません。
基本の問題は理解できて、公式も暗記できているのに、実際の問題文で応用が利かないお子さんには、このメタ視点能力がない子が多いんですよ。
日本の教育を変えるには、親御さんにメタ視点能力を養う事の意味を伝える必要があるのかなと。
だとすれば、日本の教育を変えるのは、メタモヒカン族(メタ視点遊び推奨派)なんじゃないかと思ってみちゃったり。