メタ視点が教育を変える

こないだ出た会合で、こんな話が聞けた。

小学校高学年から中学校にあがるお子さんをお持ちの親御さんで、
「私にはもう教えられなくって」
と仰る方がいらっしゃいます。
「教えられない」といってるのは、何も指導できる難易度が高くなったっていうわけではないんですね。
対応できないわけではないんです。
小学校4年生を過ぎてくると、今まですんなり自分の中に受け入れる事が出来ていた勉強というものが、徐々に受け入れにくくなってくるんです。
“それはなぜ?”“それはどうして?”という、自己解決が図れないと、自分の知識として取り込む事が出来なくなってくるんですね。
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」「どうして学校の宿題はやらなくちゃいけないの?」と、聞き始めるわけです。
その時によくやりがちなのが、「いいから、やりなさいっ!」と叱り付ける行為です。
自分は、なぜ?どうして?と聞いているだけなのに、お母さんに怒られてしまうわけです。
そのうち、何かに疑問を持つことに対し、潜在的な罪悪感が芽生え始めてしまいます。
こうなってしまっては、勉強したいという意欲はそがれ、どんどん、学校の勉強についていけなくなってしまうんですね。
つまり“なぜか?を考える能力”、言い換えればメタ視点能力がないんです。
メタ視点能力がないと、“それはなぜか?”と考えたり、“どうやってこの問題を解けばよいか?”と考えたりする事が出来ません。
基本の問題は理解できて、公式も暗記できているのに、実際の問題文で応用が利かないお子さんには、このメタ視点能力がない子が多いんですよ。

日本の教育を変えるには、親御さんにメタ視点能力を養う事の意味を伝える必要があるのかなと。
だとすれば、日本の教育を変えるのは、メタモヒカン族メタ視点遊び推奨派)なんじゃないかと思ってみちゃったり。